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国際ロータリーの各地区に危機管理委員会の設置が要請された。委員会設置のいきさつとは関係ないが、「危機管理」から思い出されるのは1989年10月18日に体験したM7.1のサンフランシスコ大地震である。
夕方5時、SFジャイアンツの本拠地であるキャンドルスティックパークでのワールドシリーズ第3戦、62,000人の観衆が球場をうめているときに起こったのである。大リーグ史上初めて、湾を挟んで近隣するチーム同士の対戦で、それぞれの本拠地を結ぶベイブリッジや高速道路の一部が崩壊した。マリーナ地区は漏れたガスが引火して夜通し空を赤く染めていた。 地震発生時には、ダウンタウンから車で40分離れたサンノゼのオフィスで仕事をしており、大リーグ中継を見に帰宅しようとしていた矢先の出来事であった。我家では2週間水道がストップし、飲水以外はプールの水で凌いだ。普段当然のものとして使用していたライフラインの重要さを実感すると同時に、無防備な砂上の楼閣で生活していた事を思い知らされた。その一方で、ラッシュアワーにかかる時間帯に密集地域を直撃した大規模な地震であるにもかかわらず、人的被害数は、安全神話が脆くも崩れた阪神・淡路大震災の時の20分の1であった。 被災した時には、商用インターネットサービスや携帯電話はまだ普及していなかったが、家路を急ぐ車中で聞いていたラジオは、被害状況の速報の合間で、一般市民同士の双方向の情報連絡センタとして機能していた。被災地では直ちにプロとボランティアのレスキュー活動が開始され、被害を最小限に食止めた。日常的には縦割りの組織を、非常時には横断的にまとめる危機管理体制と市民の意識が、応急処置と復旧のための迅速な意思決定と行動に結びついたのではと思われる。 (川畑)
by kagosimanisi
| 2007-06-05 20:24
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